光通信、映像伝送ビジネスの実務者向け専門情報サイト

光通信ビジネスの実務者向け専門誌 - オプトコム

有料会員様向けコンテンツ

量子誤り訂正と量子誤り抑制を組み合わせ、実用化のために必要な量子コンピュータの規模を飛躍的に小さくする技術を開発【NTT】

テレコム 無料

世界初の量子誤り訂正/抑制のハイブリッド方式を提案

 NTTは3月18日、大阪大学量子情報・量子生命研究センター(QIQB)と共同で、量子誤り訂正と量子誤り抑制を組み合わせ、実用化のために必要な量子コンピュータの規模を従来に比べ最大で80%削減するハイブリッド量子誤り削減法を提案したことを発表した。

背景・経緯
 量子コンピュータは、重ね合わせの原理や量子もつれといった量子系特有の性質を扱える量子ビットで計算を行う技術。量子コンピュータは素因数分解や量子化学計算などの問題を高速に解けると期待されているため、その開発が世界で盛んに進められてきた。量子コンピュータの開発で最大の課題となっているのが、重ね合わせ状態が環境のノイズによって壊れやすいことに起因する量子ビットの高い誤り率だ。この課題を解決するため、二つの誤り対策手法が独立して提案、研究されてきた。
 一つは沢山の量子ビットを用いて一つの論理量子ビットを表現し、計算中に逐次的に誤りを検出、推定することによって誤りを取り除く量子誤り訂正だ。量子誤り訂正では利用する量子誤り訂正符号を大きくすることで誤り率を任意の値まで小さくできるが、量子誤り訂正によって実用的な計算を実行しようとすると符号化のために数千万量子ビットといった膨大な量子ビット数が必要となるため、その実現にはまだ長い時間を要するという欠点がある(図1)。

図1:量子誤り訂正の概念図

 もう一つの手法は、実行する計算タスクをノイズの特性などに応じて何回か変形させて誤りのある量子コンピュータで実行し、複数の実行結果に対して通常の計算機で統計的な処理を行うことで、誤りの無い量子コンピュータの計算結果を推定する量子誤り抑制だ。量子誤り抑制は追加の量子ビットを殆ど必要としないため、現代の量子コンピュータに対しても容易に適用することができる。一方で、量子コンピュータの計算量が大きくなり、計算中に生じる誤りの平均個数が大きくなると、最終的な推定量の分散が大きくなり計算結果が不正確になってしまう。このため、量子誤り抑制は量子コンピュータが中規模から大規模になると利用できなくなる技術だと考えられてきた(図2)。

図2:量子誤り抑制の概念図

 上記のように、量子誤り訂正と量子誤り抑制の二つの誤り対策手法はそれぞれ異なる利点と欠点を持つものの、従来の量子誤り抑制手法は小規模な量子コンピュータにしか適用できず、一方で量子誤り訂正を実施するには現在よりはるかに大規模な量子コンピュータが必要となってしまうという状況だった。このため、近未来に実現が予測される中規模な量子コンピュータに対しては有効な誤り対策手法が無く、実用的な量子コンピュータの登場にはまだ時間を要するという考え方が一般的だった。

新技術の概要
 同研究グループは、これまで独立して検討されてきた量子誤り訂正と量子誤り抑制を組み合わせ、近未来に実現が予測される中規模な量子コンピュータで信頼性のある計算を行うハイブリッド量子誤り削減法を提案した。また、今回提案した手法により、素朴な量子誤り訂正を用いた場合に比べて必要な量子ビットの数を最大で80%削減できることを示した(図3)。

図3:削減度合いの図

 同手法の提案により、従来の計算機よりも高速かつ正確に実用的な問題を解くために必要な量子コンピュータの規模が削減され、量子コンピュータの実用化が早期化されると期待される。さらに、同提案により複数の誤り対策手法を組み合わせた誤り耐性量子計算機という新たな量子コンピュータの方向性が提示され、量子コンピュータの開発がさらに進展すると期待される。

技術の特徴
 同研究のアイデアで鍵となるのは、実装が容易な量子誤り訂正符号で削減された誤り率を、さらに後続の量子誤り抑制で取り除くという二重の誤り対策構造だ(図4)。

図4:提案手法の概要図

 量子誤り抑制手法は追加の量子ビットを要さない代わりに、計算の途中に様々な量子コンピュータの演算を追加できることを前提としている。しかし、量子誤り訂正符号で符号化された論理量子ビットに対して効率的に行える操作は限定されてしまうため、量子誤り訂正を適用した後に残る誤りをこの限定された操作だけを用いて量子誤り抑制で取り除けるかは自明ではない。
同研究ではprobabilistic error cancellation(※)という量子誤り抑制の手法を採用し、量子誤り訂正において誤りを検出、推定する古典コンピュータの情報処理を少し書き換えるだけで量子誤り抑制を実行できることを示した。古典コンピュータの処理を計算中に書き換えることは量子コンピュータの処理を追加するよりはるかに容易なため、提案した二重の誤り対策手法は容易に実装することができる。この方式を採用すると、量子誤り訂正符号で誤りを取り切らずとも後続の量子誤り抑制手法が誤りを削減してくれるため要求される冗長化の度合いを減らすことができ、結果として所望の小さな誤り率を持つ量子コンピュータを構成するのに必要な量子ビットの数を減らすことができる。

※Probabilistic error cancellation法:追加の量子ビットを必要とせず、計算中に追加の操作を確率的に注入することで実効的に誤りの相殺を可能とする量子誤り抑制手法の一つ。
計算中に生じる確率的なビット反転などの誤りは、物理的な操作として誤りを相殺する逆操作を定義できない。これは、無理やりこうした逆操作を定義しようとすると、「負の確率で所定の量子操作を行う」といった物理的に実現できない記述となってしまうためだ。
Probabilistic error cancellationは、こうした本来は物理的には実行できない操作を「負の確率を含む確率分布」に所定の変形を加えて疑似的に実現できるようにする手続きであり、これにより任意の誤りを相殺できるようになる。
ただし、probabilistic error cancellationを利用する代償として、量子コンピュータの計算結果は統計的な推定値となり、その分散は相殺する誤りの大きさに応じて大きくなってしまう。このため、probabilistic error cancellationは追加の量子ビット無しに実装できるものの、計算結果を正確に保つには大きすぎる誤りは相殺しきれないという制約を持つ。

今後の展開
 今回の研究成果は、従来考えられてきた小規模な量子コンピュータに対しては量子誤り抑制手法を、大規模なものに対しては量子誤り訂正手法を適用するといった考え方に、第三の道を示すものになる。同手法は誤り訂正を用いた計算機に殆ど負荷なしに実装できるため、従来行われてきた実用化までのハードウェア要求全般を大幅に緩和することができる。
 また、同研究ではprobabilistic error cancellation法に着目して実装を提案したが、他にも多様な量子誤り抑制法が誤り訂正符号と両立する形で実装可能となり、提案した指針の延長線上でさらなる効率化が期待される。量子誤り訂正符号上で行う量子誤り抑制は、計算の誤りを削減するだけでなく量子誤り訂正符号上の量子計算において負荷の重い一部の操作を軽量化したり、分散量子コンピュータにおける通信の負荷を軽減したりすることにも活用できるため、量子コンピュータのコンパイラ最適化において広い用途に利用することもできる。
このように、同研究が示した指針は、実用的な量子コンピュータを早期に実現するための効率化の研究において重要な役割を果たしていくと期待される。

 この研究成果は、PRX Quantum誌にて、以下の論文タイトルと著者にて米国東部時間3月18日に発表されるという。
論文タイトル:“Quantum Error Mitigation as a Universal Error Reduction Technique: Applications from the NISQ to the Fault-Tolerant Quantum Computing Eras”
著者:Yasunari Suzuki*, Suguru Endo*, Keisuke Fujii, Yuuki Tokunaga (*: equal contribution)

研究への支援
 今回の研究は、科学技術振興機構(JST) ムーンショット型研究開発事業 ムーンショット目標6「2050 年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現」 (プログラム ディレクター:北川 勝浩氏 大阪大学 大学院基礎工学研究科 教授) 研究開発プロジェクト「誤り耐性型量子コンピュータにおける理論・ソフトウェアの研究開発」(プロジェクトマネージャー(PM):小芦 雅斗氏 東京大学 大学院工学系研究科 教授)(JPMJMS2061)、および、JST戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)「革新的な量子情報処理技術基盤の創出」研究領域(研究総括:富田 章久氏)における研究課題「ヘテロジニアスな設計と制御に基づく誤り耐性量子計算」(JPMJPR1916)、「量子エラー抑制の基礎理論の構築および実用的手法の提案」(JPMJPR2114)、戦略的創造研究推進事業 総括実施型研究(ERATO)「中村巨視的量子機械プロジェクト」(研究総括:中村 泰信氏)(JPMJER1601)、文部科学省 光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP JPMXS0120319794、JPMXS0118068682)による支援を受けて行われた。

 ムーンショット型研究開発事業 PMの小芦雅斗氏は「現在実現しつつある小規模な量子コンピュータと、将来の大規模な量子コンピュータは、全くの別物で、別個の技術開発が必要だと思われていたが、今回の発見はその常識を覆すものだ。大規模化に向けた途中の段階でも、小規模量子コンピュータで培う技術が有用となることを示したもので、ムーンショット事業が目指す誤り耐性型汎用量子コンピュータ実現に向けた歩みを加速させる道が拓けたと言える」とコメントを出している。